なぜ皆が口を揃えて「良い」「傑作」と言うのかいろいろと考えるに、全曲ともその良さが分かりやすいからだと思う。分かりやすい=音楽として短絡的と思われがちだけど、『Coyote』の場合は何も妥協や手抜きをしていない…どころか、極限まで突き詰められたアルバムであり、かつ多くの人から理解を得られるくらいポピュラリティを持ったんだから、やっぱり凄いアルバムだと思う。
皆の評価の中に必ず出てくるのが「音が若い!」。佐野さんもヤンガーって言葉を多用しているから、これは共通見解。だけど、ちょっとここに批評的になるとすると「若い」というよりも「今日的」な音をしているんだと思う。一番最初に聴いたときに真っ先に思ったのが、「うぉ、今っぽい!」。それは90年代後半、もっと厳密には『Be Here Now』(Oasis)、『OK Computer』(Radiohead)が出た1997年のUKロック以降って言えばいいかな。いや、この2つのアルバムって面白いんですよ。それまでのUKロックの流れが『Be Here Now』に集約して、その直後に出た『OK Computer』で解体されたと思うんです。この解体後のUKロックが持っているテイストを『Coyote』に感じるんですよね。
さて、前回は「荒地の何処かで」まででしたけど、次の曲もアルバムの性格を如実に表していますね。「君が気高い孤独なら」。とても清々しいソウルサウンドです。リズムはモータウン、ストリングスはフィリーソウルっぽくて、それでいてちょっとフレンチポップ的なヨーロピアンテイストも見え隠れする、これぞまさに往年の佐野元春流ポップソング。歌われている内容も清々しく、表層部分だけを摂取すればとてもスィートなんだけど、何度か聞き込むと、その奥に隠れているビターがスィートシンフォニーしている(…失礼)。コヨーテ男がある少年に会って、彼が旅立とうとする前に「オレの歌を聴いていってくれ」と何らかの知恵を託そうとするんだけど、コヨーテ男には「外がどしゃぶりになる」、つまり彼の行き先に困難が待っていることを分かっているんですね。ちなみに「土砂降り」というタームは、後々の「壊れた振子」にも出てくるのが面白い。
たぶん少年は大人になるに従い、いつか自分の気高い孤独と対峙しなければならなくなる。うまく折り合いをつけるか、捨てるか、形を変えるか、大切に抱え込えたまま社会と断絶するか…。もちろん歌の中でその答えは出ていないけど、「どうしようもない世界を解き放ってやれ」「いつだってこの音楽がすぐそばにある」というフレーズを聞いたら、気高い孤独をどう熟成させていけばいいか自ずと分かるはず。
「折れた翼」。コンセプトアルバムのストーリーは1曲目から始まっているけど、『Coyote』というアルバムの“生々しさ”は、この曲からスタートする。この曲には、その前の3曲が持つような摂取しやすい部分はない。ただあるのは、古今東西の良質なロックがもつ湾曲した音世界。この曲のボーカルもバッキングも、とにかくぶっ飛んでいるし、誰だって問答無用に心臓を鷲掴みにされる。
英語のタイトルは「Live On」。歌を聴くと「Live On」は「リボン」に聞こえて、歌いかける相手が可愛い女の子をイメージさせる。でもコヨーテ男は、そのかつて伴にしていた女性に対して、自分のエゴへの後悔の念を打ち明けている。そして「毎日の追われるような営みの中で/君を見失いそうになった」とまで告白している。こうなってくると、「リボン」はかわいい女の子から、「生き続けろ」というストレートなメッセージに変わってくる。うーん、えらく壮大なダブルミーニング。スゴイ曲だ。
「呼吸」はもっと切実であり、もっとも包容力のある曲。目覚めてすぐに泣いてしまう。午後、音も感じず何もやる気が出ない、というのは明らかに鬱病であり、そういう人に対して「君のそばにいて、どんな時も君の力になろう」と何度もリフレインする。鬱病は自分には関係ないこと、と歌の世界から離れることも簡単かもしれないけど、前述した自殺者増加の話を思い出してほしい。自分はマトモだと目を背けている人が、実はいちばん脆(もろ)いんだと自覚するのが大事。そしたらこの「呼吸」と言う曲は、とてもセーフティネットになってくれる存在だと思う。
実はアルバムの中でも相当好きな曲で、古くは70年代のSSWっぽさを感じるし、最近ではノラジョーンズあたりの音楽性に近いと思う。重層的なコーラスがとにかく心地よいし、サビ部分、ここにも歪んだストリングスが出てくる。こいつがたった一音なんだけど、何とも心の歪みを音楽的に表現している。好きだなあ、この曲。
また後日に続く。