Vision Proを触って感じた、自分とコンテンツの「程よい距離感」

Vision Pro実体験のファーストインプレッションとして感じた「アプリケーションとの距離感、接し方が変わる」。感覚的な話ではあるから、できるだけキチンと言葉にしよう。

2023年8月17日、アップルが主催した「Apple Vision Pro Developer Lab in Tokyo」に参加してきた。その時の体験の詳細は、友人であるバスケさんのYouTube番組にて話しているので、興味のある方はご覧ください。

https://youtu.be/72J0hCMo67A?si=5DCWJ__M1oRyjdyC

バスケさんのYouTube番組では、ここ7回ほどvisionOS向けのルービックキューブ(←商標?)を開発するシリーズ企画をやっており、とても良い内容なので興味のある方はぜひチャンネル登録を。そのシリーズの一環として実際にVision Proを体験してきた自分が番組にお招きされた。

この番組の中でVision Proのファーストインプレッションとして、こう話した。

「アプリケーションとの距離感、接し方が変わる」

感覚的な話ではあるから、できるだけキチンと言葉にしよう。

コンピューターがディスプレイの枠を超えて空間を手に入れる、その意味を考える

過去から現在まで何十年もの間、コンピューターにはディスプレイという枠があり、コンピューター空間がその枠からはみ出ることはあり得なかった。いくらディスプレイに顔を近づけても、デバイスを顔に近づけても、小さな文字が見やすくなるくらいのものだった。

でもVision Proを装着すると、目に映るほぼ全エリアがコンピューター表現の場となる。しかもパススルーによって目の前には現実の空間が存在するため、現実の対象物とコンピューターの対象物を同列に感じ取れる。ここがこれからの話のキモとなる。

Vision Proを初めて装着して感心したのが、Safariやマップといった使い慣れたアプリケーションには、実は自分にとって適切な距離が存在することを初めて知った。マップなら、大きなウィンドウで広い範囲を表示しつつ、自分から少し遠くに置いて俯瞰したい。Safariは近くに置いてWebページの細部をじっくり見られるようにしたい……そんな風にコンテンツが空間の何処に配置されると心地よいかを直感的に操作できる。これはVision Proでまったく初めて体験できたことだった。

でもこれって実生活では当たり前のように行なっていることで、大きなテレビをソファの真横に置くことはしないし、新聞を3メートル先に置いて読むわけがない。つまり、自分の空間内に程よくコンテンツを配置することは誰もがやってることであるが、デジタル・コンテンツは小さなディスプレイの枠内で全てが同列扱いだった。Vision Proはそこを根底から覆し、コンピューターをディスプレイ枠から開放してくれた。

そんな距離感の究極が、自分とコンテンツの距離を完全に一致させるのがイマーシブ(没入)と言われるモードだ。現実空間を消してデジタル空間で周囲を覆ってしまうもので、例えばサーフィンのチューブライディング動画を見るときに、上も下も360度を南国のビーチで覆って、波の音が空間オーディオで聞こえてくる、そんなコンテンツ表現だ。

しかし、実際にイマーシブを体験すると、そこで提示されるコンテンツはハリウッド並に強くないと、Appleが用意したイマーシブ空間機能に敗北し埋没し、ユーザー体験としては弱いものになるな、これはコンテンツ提供側は相当な力量を求められるぞ、と感じた。


アプリケーションは透過し、コンテンツに集中する

もう一度。コンテンツには適切な距離がある。それはあくまでもコンテンツであり、アプリケーションではない。コンテンツを操作するためのUIが集約されたものがアプリケーションなのだとしたら、visionOSにおいてアプリケーションは限りなく透過的な存在となり、コンテンツを直接操作するUI設計が求められると感じた。

Vision Proを実体験してからというものの、まずはRealityKitから勉強し直している。RealityViewの中にコンテンツを配置するとき、コンテンツごとに細かくEntityを与えることで空間の中で操作できるようになる。コンテンツを直接操作するためにはRealityKitを使いこなすことが必須のようだ。

最後に余談だが、Vision Proのユーザーインターフェイスについて。基本操作は画面の操作したい箇所を見つめて、指で摘むとタップ操作になる。つまり目線を認識するアイ・トラッキングと手のジェスチャーが操作の要なのだが、目線をあそこまで精度高く検知してくれると、実は手を動かすジェスチャー操作がまどろっこしく、目で見たものを頭の中で操作したくなる。Apple Watchを初めて使った時も同じことを感じたのが不思議。極めて良くできたウェアラブルなデバイスというのは、身体の延長線上にあるように人を錯覚させるのかもしれない。