もちろんこの数週間は、佐野さんの曲と言えば完全に『Coyote』なわけですが、うちのiPodは程良い感じで昔の曲も流してくれるんですね。先日、電車に乗ってボーっとしているときに、前作『The Sun』に入っている「恋しいわが家」が流れまして、これが凄く気持ちよい。『The Sun』は『Coyote』ほどカチっとしていないんだけど、アンサンブルの縦横無尽さは極まっちゃってますね。ジャムバンド的なThe Hobo King Bandより、The Heartland的なきちっと感のある『Coyote』セッションバンドのほうが皆のウケは良いだろうな、と思いつつ、佐野さんの中からジャムバンド的な要素は消えてほしくないなあ、と「恋しいわが家」の後に流れた「Jack Straw」(Grateful Dead)を聴きながら思ったのでした(イヤ、ホントに流れたんだってば)。
今日の『Coyote』論は「ラジオ・デイズ」から。この曲は、佐野さんにしては驚くほどノスタルジックな内容の曲で「君は忘れてしまったかもしれない」「あの時、君が信じていたもの」「あの時、君が見つけた真実」「イノセントな日々/かけがえのない日々」というフレーズがどんどん出てくる。歌のテーマが古き良き“ラジオの日々”を歌っているからそういう内容なんだけど、思い返すと2005年12月に出た雑誌「クイックジャパン」のインタビューで「ラジオ本来のポテンシャルをもう一度引き出すんだ」と言ってまして、この辺りにも意識の繋がりを感じますね。「ラジオ・デイズ」は金子マリさんの『B-ethics』に提供・収録されている「最後のレイディオ・ショー」の元春バージョンということになるわけだけど、『B-ethics』の発売も2006年11月なので、昨年の夏くらいには曲として完成していたのかな、などと邪推もできる。
そういえば、先日ピーターバラカンさんとお話ししたときも、今のラジオは本来の役割を果たしていないと言っていました。今日、たまたまTFMを聞いていたら小林克也氏の「POP MUSIC MASTER」が流れてきまして、音楽を伝えるDJってスタイルを頑張って続けているな、と思いましたね。
この「ラジオ・デイズ」と、次の曲である「Us」は、音楽的に結構凝った作りをしていて、「ラジオ・デイズ」のほうが分かりやすいんだけど、曲中でテンポがころころ変わる。聞いている分には「それが凝っているの?」と思うかもしれないけど、侮るなかれ。テンポの変わり目が気にならないようにテンポを変えるのって、凄い難しいのよ。以前、バンドでビートルズの「Happiness is a warmgun」をやりましてですね、あの曲もテンポがコロコロ変わる。変わり目のグルーヴ感を失わないように演奏するのって、えらく大変だった。とくに「ラジオ・デイズ」はメランコリックな印象をもつバースに変化するわけだからね。
さて、「Us」だ。CDだけど、iTunesだけど、B面の1曲目ということでいいよね? B面一曲目にして、アルバムのハイライトを迎えましたね。この曲を最初に聴いたときは、もうぶっ飛びました。ぶっ飛ぶほど驚いた、という生半可なもんじゃなく、聴いていて中盤くらいになるとマジメに意識がぶっ飛んで、朦朧としてくるんですよ。
冷静に考察すると、演奏に合わせて歌メロを組み立てるのとはまったく正反対で、歌詞の節回しが先にあって、それに合わせて演奏している。だからちょっと変拍子だし、歌メロが小節で割り切れないもんだから、何とも言えないグルーヴ感が出てくる。さらにトラッドフォーク的な和音、UKロック的な歪みやハーモニー、ドラムンベースにも通じるリズム隊のウネリ……。
そして歌詞も凄い。ひとつひとつのフレーズは、これでもかってくらい平易で分かりやすい。「忘れないで/友達になれたらいいな」なんて小学生でも真意を汲み取れるし「TVがほら/またホラを吹いた」なんて駄洒落も飛び出し、そういえばテレビがホラ吹いて大騒ぎになったばかりだなあ、と納豆を食べながら思うくらい平易な詩。でも、「君がここで壊れるわけにはいかない」「どうして僕らは傷つけあわなきゃいけない?」と変拍子&不協和音的に歌われるところあたりから意識が飛んでくる。そして最後は「なんでオレたちは友達になれないんだ?」という意味の英語がビシビシ突き刺さってくる。うぎゃー気持ちいい!
聞き終わったときに気がつきましたよ。この感覚はスポークンワーズを聴いた時と同じ感覚だって。もしそれが正しければ、(トーキングブルーズとは違う)スポークンワーズとロックの融合という物凄いアートフォームの最初の一歩かも!? とね。
また後日に続く。