このブログにも何度か書いているけど、最近テレビが面白くない。自分の周りにも、ネットなんかで見ていても、テレビを観ていない人が増えている。昔は家庭の娯楽って言ったらテレビしかなかったのに対して、最近は他の娯楽が増えたから…というのが大きな理由なんだろう。こうした変化に、テレビ番組の作り手はプロフェッショナルだけあって、見事に順応しているよね。つまり、皆が他の娯楽に夢中なんだとしたら、ながらで観てもらっても成り立つ番組作りを実践しているように思えるわけ。BGMやBGVならず、BGTVって感じかな。でも、それは「とにかく30分や60分、テレビに集中してもらうだけの番組を作ってやるぞ」という気概が薄れていることでもあり、どんどん悪循環に嵌まっていっているように思える。
アップルが先日の製品イベントで見せてたiTVは、大袈裟じゃなくiPod並に凄い製品なんじゃないか、と久々にスカっとした。ジョブズさんがデモする様子*1を見ていて、ビデオPodcastをテレビに映したとき「おぉ!」と驚いた。あぁ、そうかそうか、これは凄いことになるぞ。iPodのように大成功するかは分からないけど、テレビの価値観を変えるタネには十分なれるぞ…と。
テレビは本来、放送局が流している番組を観るための機械なわけで、テレビに「番組」を映せるのは、放送局(の編成局)だけなのだ。しかし、iTVのリモコンでPodcast番組を選んでポチっとすると、テレビ画面には、どっかの個人やグループが作った映像が、放送局によるテレビ番組と同じように流れるわけだ。
以前、同じような期待をケーブルテレビに抱いていた。たとえば僕が友達と一緒に地域チャンネルから30分の番組枠を買って、自分達の好きな番組を作って流す。バラエティでも情報番組でも、主義主張を謳う番組でもいい。もちろんクオリティは低いけど、そうやって皆に観てもらおうって気概を持って作られた番組が増えていけば、玉石混合の中、個人が作った「玉」が光り輝く可能性もあるんじゃないかな。
それはつまり「テレビの市民解放」であり、iTVがあれば、いとも簡単にそれが実現できてしまう。これは凄いことだよ。アップルは相変わらずこういうことが好きな会社だな、とつくづく思う。DTPのコンセプトは印刷出版の市民解放(まさにThe Whole Earth Catalogueのノリね)だった。QuickTimeも大袈裟に見れば映像製作の市民解放だ。しかし現実はそう簡単ではない。今や印刷出版のほとんどがDTPで行われているけど、じゃあ個人出版物が書店に置かれているかというと、それはない。取次流通が解放されていない以上、そもそも無理な話なのだ。だけど、デジタルデータであれば流通は個人に解放されている。インターネットというのは、つまりそういうものである。そして、今のアップルが面白いところは、モノづくりの道具としてのMacと同時に、インターネットで流通されたデータを視聴化するためのデバイスとしてiPodを作り、iTVを作っているところだろう。これによってPodcastという潮流が生まれ、ラジオ的なものを市民解放する状況を作り、最後の特権的メディアであるテレビすら解放しようとしている…という見方もできる。遡って、PDFを視覚化するデバイスの決定版が生まれれば、印刷物だって一気に解放されるだろう。
これは妄想だろうか? でも、取り巻く状況は現実なわけで、あとは作り手と受け手の「気概」の問題だと思う。そして、こうした状況を作るために忘れるわけにはいかないのが、経済である。何にせよモノづくりには金がかかるし、時間もかかる。モノを作っている間も生活は続いていく。霞を食って作られたモノなんてこの世にはないわけで(見てみたいけど)、経済は絶対に必要になる。経済って言っても、バカみたいな額を稼ぐためのビジネスモデルはいらず、作られたモノが面白ければ、それに見合った対価を払う現実的なものでいい。そこはiTunes Storeに期待したい。今のiTunesが、GoogleのAdSense的に…といっても広告モデルの話ではなく、個人作家がiTunesと契約して作品をアップし、誰かが購入すると作家に還元されるという仕組みを用意してくれれば、そこにはiTunes経済圏が生まれる。これだ、これですよ。
…結局は妄想になっちゃったけど、「メディアの個人解放」と「iTunes経済圏」って凄く革新的な考え方だと思うなあ。
*1 イベントのQTムービーでiTVが登場するのは、だいたいこのあたり↓