観てきました『WALL.E』。ピクサーの映画はホントにはずれ無しの連続ですが、今回も素晴らしかったですね。ストーリーが素晴らしいのはピクサーだから当たり前。『Cars』以降のピクサーは一皮向けたと思ってましたが、今回ではさらにアニメーション表現として極まっている感じがありました。一言でいうと「CGアニメ」という言い方はもう不適切。たしかにフルCGなんだけど、デジタルとかアナログとか、セルアニメかCGかとか、もうそういう次元じゃないんですよ。絵の質も、カメラワークも、キャラクターの動きも、かつてのディズニー映画に戻っていっている気がするくらい暖かい。本編の前に上映されるピクサー製ショートフィルム『マジシャン・プレスト』も同様で、思い返せば『ゲーリーじいさんのチェス』とかも、あれはさすがにCGっぽいんだけど、目指していた表現は今に通じるものがある。そういう意味でも、ピクサーは相変わらずピクサーのスタイルを貫いているし、一方で世界中のアニメーションスタジオと比べて、完全に別の次元に上ってしまいましたね。
長々とストーリーや感想を書くのもなんなので、気がついた点を書き記していくと……まず前半はほぼWALL.EとEveのストーリーなので、我々が認識できる台詞がない。それ故にサイレント映画と同じ雄弁さが絵全体から溢れてました。台詞がないといいながらロボット同士は会話をしているわけで、なんとその効果音は、ご存知!ベン・バートが作っているというではないですか! 僕がWALL.Eに感じた愛着の念は、R2D2への念と通じていたわけだ。あと、WALL.Eが再起動する音がMacのジャーンだったのもナイス。iPodもさりげなく出てくるしね。
でも、ロボット同士が意思を交わすところにサイレント映画の技法を使うなんて、とても巧みじゃないですか。いろんなサイトを見ていると、やれロボット3原則に沿っていないとか、記録回路が壊れたロボットがなぜ感情をぶり返すんだとか、その手の批判がありましたけど「???」って感じですよ。本質論で言えばWALL.EもEveもロボットじゃなくても成立するストーリーなんだし、そういう重箱の隅系な細かい話はいらないんじゃないかなと。
この映画を見て真っ先に感じたこと。それはストーリーの巧みさはさることながら、モノ作りのスタンスとして、映画にしろ音楽にしろ、欧米のクリエイター達は戻るべき場所がしっかりある。だからこそ新しいことにトライできるんだろう。この映画で言えば、チャップリンがそれだ。また、劇中に使われている古きミュージカル映画もそう。こうした戻るべき場所があるからこそ、最新技術の粋を集めたこの映画が、サイレント映画のように雄弁で、ミュージカル映画のように巧妙であれたのだろう。日本の場合、こういうことをやったら即「パクリだ!」と脊髄反射的なリアクションが大半を占めるんだろうな。なんか、哀れだ。
最後に、ゴミに溢れた地球の光景を見て「エコロジカルな視点をもって社会批判している映画」だって思っている人も多いけど、そういう教条的なものじゃないように思える。人が逃げ出し、生命体がほぼ滅亡してしまった地球は、ロボットにとってのWastelandであり、絶対的な孤独と不毛の地ということなんだと解釈しましたよ。ルーク・スカイウォーカーにとってのタトゥーインのような感じ。で、ゴミ化した地球以上に社会批判だなと思ったのが、究極の楽園で何不自由なく暮らす人間たちが、結果として人間らしい営みをまったくもって阻害されている光景ですね。「高度に文明化し過ぎた社会において、人間性は失われていく」という、アメリカのカウンターカルチャーにおける定説的なテーマが、この映画でもしっかり語られていました。エコロジカルな視点でこの映画を見るのも大事かもしれませんが、このテーマで解説してくれる人が日本国内にいてくれることに期待したいね。